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避難所のルールを分かりやすく

J:COM安心安全チーム、宮城県仙台市 担当の野元です。

災害時に避難生活をおくる「避難所」。
ニュースで多く目にしますね。

多くの世帯の共同生活となるのでルールが必要となります。
過去の災害を教訓として、現在は避難所のルールをあらかじめ決めておく取り組みが増えています。

原町連合町内会 防災訓練のようす(2024年9月)

ルールを覚えるのって、大変ですよね…。
 
そこで今回ご紹介したいのが、ルールをシンプルに4箇条の心得とした宮城県仙台市の原町(はらのまち)地区、原町連合町内会の「避難所利用の心得 4箇条」です。
 
原町連合町内会は12の町内会で作る組織で、9月某日、連合町会合同の防災訓練が行われました。

住民の方が炊き出しや間仕切りのテント設置などに取り組む中、その4箇条が大きく書かれた紙が避難所の体育館の正面に真っ先に貼られます。

避難所となる体育館の正面に貼られた
原町連合町内会 避難所利用の心得4箇条(撮影 2024年9月)

この「避難所利用の心得4箇条」は、原町連合町内会を構成する12の町内会すべてで避難所運営の基本となっています。

原町連合町内会 避難所利用の心得 4箇条
だれにでも理解できる内容です。この4つにした理由は…

原町町内連合会 避難所利用の心得 ~4箇条~

 1.避難所の運営は避難者自ら行います
 2.自宅に倒壊の恐れがないときは、最良の避難所は自宅です
 3.自宅が危険なときは非常持ち出し袋をもって避難します
 4.自家用車や自転車は立ち入りを禁止します


避難所のルールを分かりやすくした理由とは…

この4箇条について、誕生までの経緯を知る原町北三町内会の会長 西村隆さんと、現在原町連合町内会の防災減災委員会の委員長で五輪町内会の会長 中條正樹さんにお話を伺いました 。

4箇条が生まれるまでを知る 西村隆さん(写真 右)
現在、連合町内会で防災減災を進める 中條さん(写真 左)

4箇条 誕生の背景「震災の経験と教訓」
「震災のあの日」町内会に起きたこと

原町地区は、宮城県の玄関口とも呼ばれる仙台駅の東側に位置し、中心部に近い町。
仙台駅東口周辺には、企業の本社や大手企業の支店が多く、また原町地区の近くには国の出先機関も多数ある「昼間の人口が多い」地域なんです。

震災のあの日。あの時。
原町地区で避難所として指定されている3つの学校には地域の方が避難してきたそうです。
そして、避難所を運営する地域の人たちが思わなかったことが起きます…。

避難所に押し寄せた「帰宅困難者」

「東日本大震災」が起きたのは、平日の昼過ぎ。
仙台駅周辺には多くの帰宅困難者がいたそうです。

震源から遠く離れた首都圏でも同じことが起きていましたね。
 
仙台駅に近く、近くには地下鉄の駅もある原町。
帰宅困難となった人たちが支援を求め避難所に詰め掛けてきたそうです。
 
当時も原町北三町内会の会長だった西村さんは、「発災したその日は避難所に住民よりはるかに多い帰宅困難者が詰めかけてきた」と話しました。
「あの当時、帰宅困難者の受け入れに関するルールもなく混乱した。誤った情報が広がり来る人がさらに増え、対応が困難だった」と。

経験から気づいた「避難所のルール」と「共助」の大切さ

震災後の2013年。
連合町会の12の町内会の代表者が集まり、毎週のように会議が行われたそうです。会議の議題のほとんどが「避難所運営の反省点と改善点  そして、これからの防災・減災」。
 
共通意見だったのが「避難所は避難者同士が助け合って運営しないといけない」という「共助の重要性」への気づき。そのためには、「避難所のルールが必要になる」ということ。
さらに、「住民が分かりやすく、覚えやすいものにしよう」と。

避難所はホテルじゃない

お二人は震災当時を振り返ってこう話します。

「避難生活で誰かが何とかしてくれる」
「温かいごはんと寝る場所を誰かが提供してくれるんじゃないか… そんな風潮が多かれ少なかれあったと思う」

 「温かい食事やベッドを誰かに用意してもらうって、まるでホテルみたいじゃないですか」と話すと、中條さんは…
「避難所はホテルのように誰かが食事を用意してくれる所ではないんです」「多くの避難者が不便な中、協力しあって共同生活する場所なんです」と話します。
 
その教訓から、4箇条の最初を「避難者同士の協力」にしたそうです。 

中條さん「あの日を振り返ると避難所生活でも地域の防災・減災においても
協力し合うこと。自分ごととして取組む事は大切だと今も思います」

最良の避難所は自宅

避難生活では、多くの人たちと共同生活をおくることでストレスやトラブルが生じることが課題となっています。
最近では、感染症対策など新たな課題も浮き彫りとなっています。
 
お二人はそろって「少しでも良い環境で過ごせる避難場所は自宅なんです」と話します。

「自分の部屋で眠れる、ほかの人に気兼ねしないで済む…それが、どれだけ楽なことか…」

足りない備蓄品 届かない支援物資

震災直後、備蓄品もわずかで物資が足りない事態が起きたそうです。
市街地にある避難所でも支援物資が届くまでに2日を要した経験から、まず自身の飲み物や食べ物を自分で確保しておくこと…。
それは、自身の命を自身で守ることになるため、その重要性を教訓として4箇条に盛り込んだそうです。

緊急車両や物資輸送の車両が避難所に来られない事態

4つ目の「自家用車や自転車の立ち入り禁止」という項目、なぜ車両に関して特化させたのでしょうか?

「原町地区は古くからある地域で戸建て住宅が多く道幅も狭い地域」こう話す西村さんは、実は、元消防署の職員で救命救急を担当していたそうです。

「この地域は、消防車や救急車が入れない場所が多くあるんです」
そういう場所、全国でもいろんな地域にありますよね…

車両乗り入れを禁止したエピソードとして話してくれたのが、「震災当時、透析が必要な持病がある方が避難所にいたのですが、病気が悪化し病院へ緊急搬送が必要になる事態が起きたんです。しかし、搬送する車両が避難所に来られなかったんです」

その原因は…避難所周辺や校庭に停められた自転車と自家用車が道を塞いでいたこと。

緊急車両や支援物資の輸送を妨げないためにも地域の事情を踏まえて、車両の乗り入れを禁じたそうです。

西村さん「避難所のルール作りでは地域ごとに道や地形の事情も考慮しておくと良いと思います」

4箇条の現在(いま)

原町連合町内会 防災訓練のお知らせする回覧板
「避難所利用の4箇条」が記載されています

現在、防災訓練のときだけでなく町内の回覧板にこの4箇条を記載するなど周知を図っているそうです。
お二人は町会の実情を踏まえて「町会長も高齢となり、次の方へと引き継ぐ町会も増えてきた。この4箇条とその背景にある震災の教訓を一緒にして未来に継承していきたい」と話します。

最後にお二人にあの時の教訓を踏まえて、災害への備えとして大切なことはなんですか?と聞きました。

お二人は口をそろえて…
「避難所よりも自宅で過ごせるようにしっかりと自分で自分の身を守る備えをしてほしい」「もし、避難所生活を送ることになったなら、お互いに助け合ってもらいたい」と話しました。
 
よく耳にする防災の心得ですが、数ある体験と教訓から4つに絞り込んだお二人の言葉が深く染み込みました。

原町北三町内会 会長 西村隆さん(写真 右)
五輪町町内会 会長で原町連合町内会 防災減災実行委員会 委員長の中條正樹さん(写真 左)

取材協力:原町連合町内会