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大水害にあった製麺所は今…(常総市水海道 旧青柳製麺所)


今から9年前の記憶

今から9年前の2015年9月10日に、関東・東北豪雨により利根川水系の鬼怒川で、茨城県常総市の三坂町で堤防が決壊するなど、大水害が発生したことを皆さんは覚えていますか?

この大水害により常総市内の3分の1が浸水、家屋 53 棟が全壊、1581棟が大規模半壊し、住民の生活基盤を支える市役所も水没しました。

こんにちは、J:COM安心安全チーム、茨城・千葉担当の伊澤です。

今回は、大水害の影響により志半ばで廃業された常総市の店舗兼住宅と製麺工場を取材しました。

人々の食卓を支えた、地元の製麺所が被災

常総市水海道橋本町 「旧㈱青柳製麺所」は戦後間もなく開業、約70年に渡り三竹うどんなどを製造・販売し、地元に愛され市民の食卓を支えてきました。

写真(上) 青柳さんご夫妻(夫:栄安さん 妻:京子さん)   写真(下)廃業となった青柳製麺所

ここまで濁流がくるとは思わなかった…

あの日は、いつものようにうどんを製麺していたと振り返る青柳さんご夫妻。
製麺作業中、鬼怒川が決壊したことをテレビで知ったそうです。
「まさかこっちまで水は来ないだろうと確信していた」とご主人の栄安さん。

念のため製造した麺だけでも棚に上げておこうと、精魂込めて作った麺を必死に高い場所へ移したそうです。
しかし、無念にも決壊から数時間後、濁流は店舗兼住宅と製麺工場を飲み込み、棚の上にあげていた出来立ての麺も一緒に泥水に浸かってしまいました。

濁流と化した水は恐ろしかった

私達が今まで生活と関わってきた水の色と、土手を決壊させ数多くの町を飲み込んで到達してきた水の色は全く違っていて「真っ黒で、とても臭かった」「濁流というと一方向から流れ込んでくるというイメージだったが、実際は四方から黒く濁った水が迫って、とても恐ろしかった」と話す奥様の京子さん。

被害をうけた青柳さん宅

再起を信じて頑張ったが・・・

「被災後、製麺機が水没し数日で錆が発生し復旧できる状況ではなかった」と語るご主人の栄安さん。

一度は製麺工場と店の再起を考えたが、泥水に浸かった店舗と工場の清掃、そして使えなくなった製麺機や冷蔵庫などを一から立て直す事は年齢的にも厳しいし、残された子ども達に迷惑をかける事はしたくないと判断した青柳さんは「どうして、こんな目にあわなくてはならいのか…」と涙を流しながら、先代から受け継ぎ、半世紀以上営んできた青柳製麺所に幕を下ろしたと語ります。

時が過ぎても、消えない記憶

水害当日、店舗兼住宅の1階部分が浸水した青柳さん宅

廃業した後も、自分達の生活を支えてくれた通りに面する店舗兼住宅の跡地を見る度、自然と涙が出てきて、しばらくは住み慣れた自宅前の通りを歩くことすらできず、人生に絶望感しかなかったと話す奥様の京子さん。

再起への思い

しかし、このままにしたくないと考え、様々な被災者支援活動をしているNPO法人 茨城NPOセンター・コモンズへ相談しました。
町も少しずつ日常を取り戻し、自分達も含め辛く厳しい経験をしてきた常総市水海道に、少しでも活気を取り戻したいと青柳さん夫妻は、ゆっくりでも一歩づつ前を向いて進む事を決意。復興への強い思いを語ってくれました。

ショップを担当する佐々木さん(マークフィックス)が新しい事業を説明してくれました

現在は、茨城NPOセンター・コモンズが管理し、母屋を多国籍の人が暮らすシェアハウスとして、倉庫をTシャツの印刷工場兼オリジナルデザインのウェア、雑貨等を販売する店舗として復興を目指す町に新しい光をあてています。

復興と夢

最後に青柳さん夫妻は、こう話してくれました。

「大水害にあった常総市は、一歩づつ確実に復興していると思います。更にこの魅力ある常総市水海道に再び多くの人々が暮らせる町として、そして欲を言えば、災害のあった暗いイメージを新しい色や形に変えてくれる若い芸術家が集まる町にしたい」と将来の夢をご夫婦そろって笑顔で語ってくれました。

取材協力  :  旧青柳製麺所[青柳栄安さん、京子さん]
         茨城NPOセンター・コモンズ

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~ぬくもりのバトンプロジェクト~」

▼YouTubeにて配信中
https://www.youtube.com/watch?v=f04LS6U6Baw