見出し画像

被災地を巡ると「人々のエネルギー」が見えてくる

J:COM安心安全チーム、埼玉担当の和田です。一年前の今日のことを、みなさんは覚えていらっしゃいますか?晴天の元日、初詣を終えて近所のガソリンスタンドで車を洗っていたときにスマホから緊急を告げるアラートが鳴り響き、何事かと慌てて飛び込んだ事務室のテレビが信じられない光景を映し出していました。「何かしなければならない」と頭ではわかっていても行動に移せない自分がいました。

しばらくして、自らの足を動かして人を助けに行った大学生たちを、能登から遠く離れた埼玉で見つけました。丸一年経つ今でも彼らは埼玉県から能登へ、支援に向かい続けています。そんな彼らの話には、自ら動いた人だけが発することのできる、何かがありました。この1月1日、ボランティア活動を続ける大学生の言葉に耳を傾けながら「私たち大人は、何をすべきか?」読者と一緒に考えてみたいと思います。埼玉の大学生による能登ボランティア記連載企画、第2回をお届けします。


3学合同「能登半島支援学生ボランティア発表会」の様子
(聖学院大学、立正大学、埼玉県立大学)

レンガを運ぶと「復興の難しさ」が見えてくる

聖学院大学、心理福祉学科2年の竹内です。
現地では、様々なものをごみ集積場に運ぶ手伝いをしました。たとえば…この写真で山積みになっているのは、畳です。大きな地震に遭った家は倒壊を免れていても、雨漏りによって家の中の畳が腐敗していきます。伝統的な作りの家には立派な畳が入っていて、水を吸った50枚ほどの畳を運び出す作業はかなり大変でした。

聖学院大学2年 竹内康紘さん

活動の中で、復興のスピードについて実感を持つことができました。被害を受けた建物のレンガやコンクリートの破片も運びました。そういったものの中には石とか、漁に使う網などが混じっていて、あらかじめ仕分けしておかないと集積場で受け入れてもらえません。

力仕事のためにやってくるボランティアは同じ所に長く居ることが少ないので、仕分け方などの細かな知識が蓄積されず、作業練度が高まらないという課題がありました。ボランティアが長期滞在するための体制が整いにくいことも、復興スピードがあがらない原因の一つではないかと思います。

ボランティアに参加して感じたことがあります。いま自分が運んでいるものは一見瓦礫のようだけれど、そこに住んでいる人にとって瓦礫とは言えないし、被災者と直接接して、その気持ちに触れることで、ゴミのことを「ゴミだ」と単純に片付けられないんです。

ボランティアに参加するまでは「なぜ復興が早く進まないのだろう」と思っていました。実際に自分がボランティアをやってみて、考えが変わりました。そういうふうに語ることができなくなったのです。地元の人にとって、壊れた建物が片付けられて更地になる状況は「きれいになる」のではなく、「消えてしまう」ことだと感じたからです。


被災地を巡ると「人々のエネルギー」が見えてくる

(画像提供:学生団体そよかぜ)

現地の作業で使っていたのがこの軽トラックです。豊橋、松本、柏、大阪などナンバープレートを見ると、日本中の色々な所からはるばる来ていることがわかります。軽トラックは僕たちの活動を支えてくれるので、酷使されてボロボロなのに深い愛着を覚えます。

この軽トラックには思い出があります。ボランティア活動のために色々でかけるうち輪島に近い山中で道を間違え、過疎地域と呼ばれるような山の中の町に入ってしまったことがあります。そこには不思議とたくさんの人がいて、元気に往来していました。

能登にも住民が元気に活動している町があることを知って、ほっとした気持ちになった記憶が軽トラックに結びついています。その時に感じた「人のエネルギー」。それをもっと強く感じたのは祭りです。

ある所で出会った住民から祭りにかける想いを聞きました。それがきっかけで興味を持ち、ボランティア活動の基地である能都サテライトセンターの職員の方からお祭りに誘っていただきました。「神輿」と「奉燈(キリコ)」が出る、能登町宇出津の「あばれ祭」(石川県無形民俗文化財)です。


お祭りを通して「故郷」が見えてくる

奉燈(キリコ)(画像提供:学生団体そよかぜ)

「奉燈(キリコ)」は上に子どもたちを乗せて大人2〜30人で担いだり練り歩くものです(※)。子どもたちはその上で太鼓を叩いたり、音を鳴らしたりします。子どもたちを乗せた奉燈は、大人たちが頑張って動かさなきゃ前に進まないのですが、キリコが能登の現状を象徴しているように感じられました。

(※キリコとは、切子灯篭を縮めた呼び方で、巨大な灯籠に担ぎ棒が組み付けられ、あばれ神輿の先頭を照らす提灯のような役割を果たすものです)

港を進む神輿(画像提供:学生団体そよかぜ)

このお祭りの神輿は、「あばれ神輿」と呼ばれ、叩きつけられたり、引き回して水の中に入れられたり、火の中に入れられたり、そういうことをやります。「神輿は大事にするもの」という固定観念が私にはあったので、とても魅力的に見えました。あばれ神輿はほんとうにエネルギッシュで、見るだけで元気をもらえます。

水中に入れられる神輿(画像提供:学生団体そよかぜ)
燃え盛る炎に入れられる神輿(画像提供:舩本工務店)

このまちの人々は、この祭のために一年を生きているようなところがあります。象徴的なのはあばれ祭のカレンダーです。

年の始まりが祭りの日(7月5日と6日)で年の終わりが祭りの前日。これだけでも、地元の方々の心の支えになっていることがよくわかりますよね。この日に合わせて帰郷する地元出身者も祭りを支えていて、能登出身の人が、お祭りのために戻って来るんです。お祭りに関わる中で、どうして能登から出て行ったかを知ることになります。

能登では、仕事がなかったり、これまでの生活を続けることが難しいために他の地域へ出て行く人が多く、人手不足により営業時間を短縮している店も多いです。「人手不足で、仕事がない」状況が生まれていました。

求めている仕事がないという方もいれば、通うための学校がないという若者もいます。この祭りを「故郷」として、人々が能登に戻ってくる機会になり、まちを元気にする活動につながればいいなと思います。


ボランティアをすると「自分の気持ち」が見えてくる

町内を練り歩く奉燈(画像提供:学生団体そよかぜ)

「こんな震災のあとに、祭りをやれるのかな」という不安のなか実施にこぎつけた「あばれ祭」。普段大人に気を遣って生活している子ども達を大人が楽しませている様子や、久しぶりに帰郷した人が生活のためにまた能登から離れなくてはならない様子を垣間見ることができました。

ボランティアでいろいろな家にお邪魔するなか、あるお宅で壊れたブロック塀を運び出しました。後で知ったのですが、そこはあばれ祭で重要な役割を担う家だったのです。お祭りのときに多くの人で賑わっている様子を見て「ボランティアをやって良かったな」としみじみ実感しました。地元の祭りに参加できたことは貴重な体験で、嬉しいことでした。

 学生団体「そよかぜ」 代表 竹内康紘さん

能登での体験を経て、地元の埼玉でも自分なりに活動することにしました。能登と関わる中で「もっと継続的に関わり続けたい」という気持ちを持ち、ボランティア団体「そよかぜ」を設立しました。

そよかぜの活動では能登町の活動に加えて、聖学院大学と長い繋がりを持つ宮城県石巻市の任意団体「Team大川-未来を拓くネットワーク」と連携して、児童・教職員が亡くなった大川小学校の出来事の伝承と周辺地域の魅力発信活動を行っています。

この活動を通じて、現地の状況や出来事を伝えると同時に魅力も発信し、関東に住む人たちにも身近に感じてもらうことで、忘れられない場所を作っていきたいと考えています。


この記事は、2024年6月23日 埼玉県防災学習センターで開催された、聖学院大学、立正大学、埼玉県立大学の3学合同「能登半島支援学生ボランティア発表会」と、その後の個別取材を再構成し連載記事化したものです。第一回は下記リンク先でご覧いただけます。こちらも併せてご覧ください。

取材協力
聖学院大学
芦澤弘子(聖学院大学ボランティア活動支援センター
ボランティアコーディネーター)
竹内康紘(聖学院大学心理福祉学科2年/学生団体そよかぜ 代表)
舩本工務店